2016年4月15日金曜日

熊本の思い出


熊本で大地震がありました。

あたい、OL時代に熊本へ時々出張してました。
20回くらい行ったかなぁ。


あたいは東京勤務で
熊本の支社で人手が足らないときに
行ってたんだけどさ、
ろくに仕事も出来ないあたいに
熊本の人たちって
本当にみんな親切にしてくれてねぇ。


当時のあたいはちょっとヘンな子だったけど
みんな、まるで自分のいとこかなんかのように
毎回、毎日、毎晩、
熊本のいろんなところに連れて行ってくれて。


長い時には一ヶ月間ホテル暮らしだったけど
毎日、ホテルから会社まで送迎してくれて、

土日はいつも誰かが
海釣りや温泉やバーベキューやテニスや、
ご実家にある上り窯(陶芸)を見せてくれたり、
阿蘇の大観峰をオープンカーで激走してくれたりして
行くたびに熊本を満喫させてもらいました。


そういえばビジネスホテルの人も親切だったなぁ。
ある時、高熱がでたときに
頼んだわけでもないのに
夜中に氷枕を換えに来てくれたり、
タオルやポカリを置いておいてくれたりしてね。

あたいが気に入っていた部屋を
たいてい用意してくれたりして
ビジホであそこまでおもてなししてくださるとは、
マニュアル対応じゃなくて
熊本県民性の、おもてなしの心からだったのだなぁ。



あたいがお勤めしていた部署(東京)は
9人中6人が熊本出身の方々という、
朝から晩まで
濃ゆ~い熊本弁が飛び交う部署でさ。


夏や秋には熊本のご実家から
スイカやサツマイモが送られてきて
昼休みにみんなで食べたりして。


東京に居ながら熊本を満喫していたあたい。
あの、ほのぼのとしたOL時代は
すべて
熊本県の人びとのおかげでした。


今でも当時の10人くらいと
年賀状をやりとりしてます。

だから今回の大地震で被災した方々が
テレビで熊本弁で被害を話すたびに
どれもこれもあたいが知っている人が
泣きながら言っているように聞こえてつらかった。


震度7だった益城町には
新築祝でおうちに遊びに行った知人もいるし、
余震のたびに
知っている地名が表示されて心配なのです。


昨夜、大変なさなかに「大丈夫だよ」とメールをくれた知人は
止まらぬ余震に「でもとにかく怖い」と書いてありました。

そうだよね。
揺れるたびに「また大きい地震か!?」と気も休まらないだろうし、
これがいつまで続くのか、わからないし。

健康で元気な人ですら大変なのに
もし体調が悪かったり、不調な家族を抱えていたら......

週末には雨の予報もでているそうだし。


ただの悪夢だったなら
どんなにいいか。

眠れぬ夜の、
つかの間のうたたねから目が覚めたときに
「あぁやっぱり現実なんだ」と気づかされ
そのたびに何度も絶望させられるのであろう
あの親切な人びとのことを思い、涙がにじんできます。


一秒でも早く
また、いつもの
なんでもない毎日に戻れますように。